学生団体オランアースのこれまでを「歴史」的な観点から振り返っていきます。
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本庄地区農村環境保全会の結成まで
オランアースが活動の拠点とする京都府伊根町の本庄地区三地域(本庄宇治、本庄浜、本庄上)は、「旧農村集落」と言われるような領域です。
旧農村集落とは、1600年代中頃の江戸期に年貢の徴収のために村が細分されたことで誕生しています[1]。この村々はその後、明治維新の時期に近代化政策を掲げる国家のもと近代的地方行政改革が行われ、20か村あった村が4村(伊根村、朝妻村、本庄村、筒川村)に合併されました[2]。その後、1954年に国からの「町政合併促進法」を受け、それまで行政機能を持っていた4村が合併し一つの伊根町の行政下に置かれることとなりました[3]。
図1 伊根町合併までの流れ
出典:伊根町誌編纂委員会(1984)「伊根町誌上巻」を基にオランアース作成。
伊根町での住民組織による自治の歴史は、鎌倉の末期から機能してきたと言われています[4]。
この時代、それまでの村落での地主による支配的な荘園制のなかで、それに対抗するべく農民たちは自治的な地域的結合を始め、村落を自分たちの管理下におくことに成功しました[5]。これがのちに発展し、1300~1400年代に、自治機能を持ったグループがより広い範囲で結合する郷村制というものが確立し、彼らはそれぞれが自立した小経営を持ちながらも、村の共同用益地としての入会地や、用水、灌漑施設の共同利用を行い、その権利を領主や隣村の侵害から守ることや領主との対等な関係を持つことを契機として自治のための結合が進みました[6]。しかし、このような結びつきは、同時によそ者の排除[7]や第二次世界大戦中などの戦時下での末端組織として機能するといった側面[8]も引き起こしてきました。
このようなネガティブな側面も見られるものの、地域住民の間での地縁的な強い結びつきは、地域での課題の解決システムを住民の間での自主性によって補い「お互い様」の精神を醸成してきました。
しかし、近年は混住化に伴う地縁関係の衰退や人口減少・高齢化の進行に伴い、適切な問題解決が困難となっています。
この問題に対して農林水産省は2007年より「農地・水保全管理支払交付金(旧農地・水・環境保全向上対策)」[9]の導入を開始しました。農林水産省は、このプログラムを通じて農業生産活動のなかで必須となる農地や水などの環境保全を時代の変化に対応したやり方で実施していくための枠組みを設定しました。例えば、農業従事者だけでない多様な主体の参画が、地域環境の保全向上活動に幅が広がるという見解から、必ず支援対象組織には農業者以外の構成員が参加することを条件としました[10]。
同年の2007年度に「本庄地区農村環境保全会」(以下、保全会)はこの制度の開始に乗じて結成されました。このほかにも本庄地区には、滝山保勝会やKOMOIKEあずきの会などの地域組織があります。
表1 本庄地区の地域組織
本庄地区農村環境保全会 | 滝山保勝会 | KOMOIKEあずき | |
メンバー | 本庄3地区の方々(計37名) | 布引の滝に愛着を持つ者(計33名) | 従業員(5人)と耕作者(13人) |
設立年 | 2007年 | 2011年 | 2010年 |
活動地域 | 本庄上・本庄宇治・本庄浜 | 滝山 | 伊根町全域 |
運営資金 | 農村・水保全管理支払い交付金(ハード事業280万、ソフト事業300万) | 年会費1000円 | 各個人農家からの出資・きょうと元気な地域づくり応援ファンド公園事業 |
活動内容 | ソフト事業 ・雪害や河川の点検 ・子ども会(上記3地区の児童会) ・水仙を農地の土手に植える ・小学校の田植えの手伝い ・薦池大納言の栽培・管理ハード事業 ・役員とともに地域を巡回して修理する場所を決定 ・工事の委託(老朽化した水路、陥没した農道など) | ・散歩道、案内看板、休憩施設の設備 ・植木の推進 ・ボランティアガイドの養成 ・他団体と連携したトレッキング推進 | ・レストラン(イタリアンバールピエーノ伊根店)の運営 ・個人農家から小豆を買い取り、販売 ・お菓子(エスポワール)の製作、販売 |
(出典:中村美咲(2016)「京都府伊根町におけるボランティアツーリズム 学生ボランティア団体を事例として(別冊図表集)」、立命館大学文学部卒業論文(未刊行))
丹後プロジェクトによる交流・協働事業の開始≪第一期・第二期≫
オランアースが連携する本庄地区農村環境保全会は、同制度の活用を目指して組織されたこともあり、所属のメンバーは、農業従事者のみならず、観光協会や地元企業、学校関係者、議員、漁師、猟師などの地域内の多岐に渡るメンバーで構成されています。構成員は、総勢36人であり、いずれも本庄上・本庄宇治・本庄浜のいずれかにの集落に所属します。その中で、役職に就きながら中心的に活動しているのは10名おり、定例のミーティングや事務作業を行っています[11]。
この制度を活用し、最初に保全会が行った大規模な活動は、獣害フェンスの取り付けの作業でした。
これは、イノシシや猿のような動物が農作物を襲う被害が深刻化していた[12]状況を改善するために計画されましたが、人手が足りず作業に着手することができませんでした。
そのタイミングで立命館大学文学部自主ゼミ「地域観光学研究会」は調査研究を行っていた過程で獣害フェンスの設置に困っているという状況を知り、大学生らがボランティアと観光の要素を組み込んだ「ボランティア&フードツアー」の企画と実施を行いました[13]。これらは2011年と2012年に一回ずつ実施され、伊根町本庄地区での大学生との交流・協働事業第一期が開始しました。
第1回伊根ボランティアツアー集合写真(2014年)(丹後プロジェクト参加者内撮影者不明)
2013年から2016年にかけては、名称を「丹後プロジェクト」として年間を通じた交流・協働事業第二期へと展開しました。2013年当時の活動内容は、主に4つあり、①滝整備のための材木伐採作業②薦池大納言小豆の種まき作業③薦池大納言の収穫作業④薦池大納言小豆を使用した商品(スイートポテト)のサンプルづくり⑤地元の祭り(大漁祭り)での販売活動を年に3回伊根町に出向き活動を行いました[14]。
2014年は、「小学校での生徒との種まき」と「立命館大学の学園祭での地域食材の販売」が加わり計3回と1回の市内での活動、2015年は、ボランティアスタッフとして「伊根花火大会の補助」にも参加するようになり、2016年にはこれに「うみゃーもん祭りでのボランティア活動」が加わり、この年は計6回学生が足を運びました[15]。
立命館大学学園祭(2014)
(丹後プロジェクト参加者内撮影者不明)
本庄小学校での田植え(2014年)
(丹後プロジェクト参加者内撮影者不明)
薦池大納言収穫 (2016年)(丹後プロジェクト参加者内撮影者不明)
登山道整備(2016年)(丹後プロジェクト参加者内撮影者不明)
年々、参加するボランティア活動も多種になり、伊根町に学生が来る回数も増えていましたが、2016年の年に丹後プロジェクトの活動メンバーが全員大学4年生となり今後の活動の継続が危ぶまれました。
「オランアース」による交流・協働事業への展開≪第三期~≫
そんななか、2017年3月から活動を開始し、2023年7月現在も活動を継続する「学生団体オランアース」は、丹後プロジェクトをさらに体系化・中長期政策化させたプロジェクトを開始しました。参加メンバーには、立命館大学生を中心に他大学生もいます[16]。
図2 本庄地区・オランアースの連携事業イメージ図
オランアースの活動体制の大きな特徴は、本庄地区の保全会との連携体制が挙げられます(図2)。
オランアースと保全会は中長期的な取り組みを見据えた連携協定を取り結び、交流・協働事業の第三期を展開しています。本庄地区側とオランアース側双方のニーズを繋ぎ「地域・若者資源」を活かしながら保全会側とオランアース側の多様な関係者を巻き込んだ形で地域の課題解決の活動を展開しています(事業内容について)。
オランアースの活動では、地域外部のボランティアメンバーが地域に深く入り込み、多様な関係者との繋がりを広げ、学生自身も考え、提案し、実行する活動へと変化していきました。
活動の転換を図りオランアースの組織構造は運営本部(5名)を設けて地域との仲介役とし、その外側にオランアースファミリーとして緩い繋がりの外部に開かれた領域を形成しています(図3)。さらに提案型プロジェクトを行うごとにプロジェクト発案者を中心に運営本部や正会員、オランファミリー、その他外部の人々でプロジェクトチームを形成しながら進めています(チームメンバーについて)。
図3 オランアース組織イメージ
2021年2月には、「オランボックス」の販売をスタートさせました。
これまで、生産者ツアーや京都市内での「伊根食堂」など食にまつわるイベントを複数開催してきました。さらに、コロナ禍で現地に行けない状況やオランアース設立時のメンバーが卒業するタイミングで伊根町と繋がりを持ち続けられる方法はないか?と考えた時ECサイト開設というアイデアに至りました。
このような経緯があるので、単純に商品を買うだけではなくて生産者さんとコミュニケーションを取れたり継続的な繋がりを持ち続けられてたりする仕組みにしていきたいと考えています。
ぜひ、こちらから「オランボックス」についても確認してみてください。
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[1]伊根町誌編纂委員会(1984)「伊根町誌上巻」、伊根町、238-239頁。
[2]前掲1)、506頁。
[3]前掲1)、506頁。
[4]前掲1)、141-143頁
[5]前掲1)、141-143頁。
[6]前掲1)、141-143頁。
[7]前掲1)、387頁。
[8]前掲1)、656頁。
[9]農林水産省「農地・水・環境保全向上対策の取組」、http://www.maff.go.jp/j/wpaper/w_maff/h18_h/trend/1/t1_3_3_03.html(最終閲覧日2018年12月4日)。
[10]農林水産省「新たな農地・水保全管理支払交付金」、http://www.maff.go.jp/j/nousin/kankyo/nouti_mizu/pdf/25_panf.pdf 最終閲覧日2018年12月4日。
[11]所属メンバーが本庄上・本庄宇治・本庄浜の3地域に限られているのは、当初、中山間地域等直接支払制度(農業の生産条件が不利な地域における農業生産活動を継続するため、国及び地方自治体による支援を行う制度)がこの3地域には適応されなかったという背景がある。これらの地域は中山間地区ではあるが、本庄田んぼと呼ばれる平野が広がり、傾斜がある等の基準を求めるこの制度の対象となる地域にならなかった。また本制度は、事業の手続き上で活動組織が行政と提携を結ぶ必要があり、保全会は伊根町役場の地域整備課と連携を図りながら事業を進めている(農林水産省(2017)「中山間地域等直接支払い制度」、http://www.maff.go.jp/j/nousin/tyusan/siharai_seido/attach/pdf/H29_pamph_all.pdf 最終閲覧日2018年12月4日)。
[12]当時の町内の被害は水稲が1.6㌶(被害額182万円)、ソバが3㌶(同38万円)などと被害が年々増加していた(読売新聞「獣害封じ学生一役-立命館大30人伊根へ」2011年11月18日金曜日)。
[13]この取り組みは、京都府が農村の生活空間を守るために①「京都府中山間ふるさと保全基金」(京都府「ふるさと保全活動(中山間ふるさと保全基金)」、http://www.pref.kyoto.jp/furusato/index.html 最終閲覧日2018年12月4日)を設置し、その一環として行われるふるさとボランティア(愛称「さとボラ」)の事業として補助金を受け、実施された。「さとボラ」は農山村の水路や農道、水田や畑の維持管理保全活動を行うボランティア活動で、個々の「ふるさと保全」に対する意識の高揚を図るとともに、体験活動を通じて知り合った者からなるボランティア組織を立ち上げることを目標に、継続的な活動のきっかけづくりを行う。(②京都府「ふるさとボランティア(さとボラ)、http://www.pref.kyoto.jp/furusato/15600012.html 最終閲覧日2018年12月4日)。
[14]近畿農政局「【農地等を活用した取組事例】立命館大学 丹後プロジェクト」、http://www.maff.go.jp/kinki/kikaku/nouchi/tangoproject.html 最終閲覧日2018年12月5日。
[15]中村美咲(2016)「京都府伊根町におけるボランティアツーリズム 学生ボランティア団体を事例として(別冊図表集)」、立命館大学文学部卒業論文(未刊行)、表3-1。
[16]丹後プロジェクトが活動を継続していくことが難しくなった背景には、参加する学生が仲間内からの参加が大半であることによる「活動メンバーの固定化」と、活動を中心となって運営する組織が「体系化・戦略化されていなかった」点にあった。2017年からこのような課題を克服していくために活動を新たに開始させ、思考錯誤を行ってきた。
この記事を書いた人
オランアース設立者・オラン知見録編集長 藤本直樹
1995年京都府生まれ。立命館大学(京都市)地域観光学専攻2年生の頃から観光を活用したより良い社会づくりを実践・研究。2017年3月から京都府伊根町で地域住民組織との協働体制を作り「都市農村交流事業」を行うオランアースを設立・運営。現在は、立命館大学院政策科学研究科博士課程で「観光社会起業とコミュニティ・ディベロップメント」をテーマに国内外の学会発表や論文執筆を行う。バンドン工科大学(インドネシア)都市・地域計画専攻、グリフィス大学(オーストラリア)観光経営学専攻への2度の長期留学を経て、実践とアカデミックの往復を志す。
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