浦島太郎伝説が伝わる「浦島まつり」に参加してきた

伊根町本庄地区:浦嶋祭り

浦嶋祭りは、町の人々の娯楽の場として設けられた祭りです。正月や収穫祭などに並ぶ、農作業に勤しむ町民を癒すためのイベントとして毎年開催されています。あまりにも祭が激しいため、基本的に女性は祭に参加することができず、笛を吹いて祭りを盛り上げるなどのかかわり方をしています。


浦島神社

音楽を奏でる笛

 浦島まつりで吹かれる笛

祭は前日の宵宮から始まります。日が暮れてから、太鼓の音と共に地区ごとの若者が提灯を持って境内に入っていきます。宵宮は主に若者が参加しています。

これは宵宮の様子を表す写真の1つ。地区ごとの若者が鳥居から境内までの間を何度も全力で駆け抜ける。

旧農村集落というかつて農村を行うために定められた境界がいまでもこの祭におけるキーポイントです。浦嶋祭と言っても、地区によって太鼓の音や歌、提灯の文字、踊りが異なります。また、祭には明確な手順があり、祭に参加する順番が地区ごとに決められています。順番としては、海に近い方から参加する決まりになっており、本庄浜、本庄宇治、本庄上の順番での参加となっています。

祭における太鼓の音、踊りは町民の体に染み込んでいるものだといいます。そのため、祭の約2週間前から始まる地区ごとの練習のみで祭が行われます。祭の最中には、ベテラン(70代の方々)から若者(10代の方々)に「まだまだやな」と檄を飛ばされている場面も見受けられました。

花踊りと呼ばれる本殿での踊り。これも地区ごとに異なっている。

ベテランによる太鼓演奏。ベテランにしかわからない音の違いがあるという。

神社には、本殿と境内を仕切る結界の役割を果たす提灯が存在する。この写真のものがまさにその提灯であり、町の人でさえも、何と記されているのかはわからないのだという。現在は、研究機関に解析を依頼している。

この祭の面白いところは、祭が終わった後にも存在しています。祭りを終えると、来た道を提灯と一緒に歩くというのだが、その道中のいくつかの家が休憩所として設置されており、そこに立ち寄ってはお酒を飲んだり、おかずをもらったりするという風習があります。酔っ払うと田んぼに落ちる者も昔は居たらしく、人型に倒れた稲を翌日の朝に戻す作業があったといいます。以前まで、手作りうどんを振る舞っていた家が市販のそうめんに変わったことに対して非難轟々だったという話もあります。

浦嶋祭における大きな課題の1つとして、参加者が年々減少していることが挙げられます。今は、上京した町人が祭の時期になると戻ってくるため成り立っているといいますが、子供の数が少なくなっている事が祭にも大きな影響を及ぼしています。

浦島神社ホームページ

(文:温奈)

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