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観光の排他的な性質
観光の排他的な性質に関連する研究はこれまでの観光研究においても数多く議論されてきたものでした。
観光業は、特権的な中流階級と上流階級が旅行して、彼らが投げかける「観光のまなざし」で観光地を消費してきました。また、消費される側の地域が提供するレジャー活動は、特に大企業に利益をもたらし、富裕層のための排他的なエリアを作ってきました。そして、こうした特定の場所で行われる観光の開発には、一部の人間だけが特権的に関わることが可能だという非難されてきました。
本連載記事を読んで得られるもの
本連載記事では、これらの批判を踏まえてじゃあどうやって状況を変えることができるのか?という視点で、「インクルーシブ観光」という新しいアプローチ方法を紹介していきます。「インクルーシブ観光」は、より包摂的な利益分配やより公正で持続可能な社会としての観光の戦略を提示するための分析的な概念として、スケ―ブンス(Scheyvens)とビドルフ(Biddulph)らによって2018年に提示されました(Inclusive tourism development)。
これからの連載記事は、彼らの2018年の論文で提示されたインクルーシブ観光の7つの要素(第一回では、それを要約したものを紹介します!)を本特集のテーマとして置き換え、インクルーシブ観光を研究・実践する筆者の経験とリサーチの成果を、全10回で紹介します。
- インクルーシブ観光とは何か?
- 観光にフェアネスを!フェアトレードと観光
- だれもが旅を楽しめる社会のための取り組み
- 観光マップを作り替えるという“社会変革(ソーシャル・イノベーション)“
- 観光における「ガバナンス」:だれが意思決定するのか?
- 観光はなぜ平和産業と言われるのか? 平和産業であるために必要な視点
- 観光客に「観られること」が地域の人々にもたらす心理的影響
- 「観光は社会の力関係を変えうるか?」
- 新自由主義の壁は高い:インクルーシブ観光の挑戦
- まとめ
(前略)「インクルーシブ」とは、あえて日本語にすると「包み込むような/包摂的な」となりますが、(中略)「インクルーシブ」は、「ソーシャル・インクルージョン」(社会的包摂)という言葉から来ており、「インクルーシブ」の反対は「イクスクルーシブ」。「排除的、排他的」という意味です。(後略)(用語の説明「インクルーシブ」 – ヒューライツ大阪(一般財団法人アジア・太平洋人権情報センター) www.hurights.or.jp. 2021年2月1日閲覧。)
それではまず、本連載の全体像を紹介していきます。
インクルーシブ観光というキーワードが持つ意味
インクルーシブ観光は、全世界共通で達成すべきSDGsの17の目標とその精神である「誰一人取り残さない」と通ずる性質があります。なぜなら、観光の生産、消費、恩恵に関与する人々の範囲を包摂的にする(広げる)ことを目指している点と、その枠組みが発展途上国のみならず先進国においても適用可能な枠組みであるからです。
また、インクルーシブ観光は、既存の観光地での消費、生産、利益共有に関わる人のすそ野を広げるだけでなく、新しい観光経験とホストとゲストが相互作用する“新しい観光スポット”を作成するために観光マップを“再描画”することを試みます(Scheyvens & Biddulph, 2018)。こうしたある種、変革的な取り組みには、活動の横展開だけでなく、これまでにないようなイノベーティブな観光スポットであることも重要なので、観光の意味や概念が拡張することや、これまでになり資源やアイデアの新しい組み合わせが起こる”イノベーション”にも繋がります。
さらに、インクルーシブな観光開発への焦点は、排除された人々を巻き込むだけでなく、観光に関する意思決定にこれまでは内包されてこなかったような小さな声を含めることも含みます(Scheyvens & Biddulph, 2018)。
このように、インクルーシブ観光は、多様な人とのパートナーシップを結びながら、これまでにない組み合わせによりイノベーションを起こし、すべての人が観光から受ける恩恵を確かなものに観光をトランスフォーム(変容)するために非常に重要なキーワードであると筆者は考えています。
似てるけど、違うインクルーシブ○○
オールインクルーシブ
インクルーシブ観光の定義を紹介する前に、似てるけど、全然違うインクルーシブ○○について押さえておきましょう。まず、スケ―ブンス & ビドルフ (2018)はインクルーシブ観光という用語を用いる際、観光客が海外の目的地でのフライト、送迎、宿泊、食事、ツアーの費用を含むパッケージを事前に旅行代理店に支払う「オールインクルーシブ」とは全く異なりますといいます。むしろ、オールインクルーシブ観光は、ここで紹介しているインクルーシブ観光と見なしているものとは逆のことを提供することがよくあります。
Saarinen(2017、p。425)は、オールインクルーシブの製品によって形成されたようなエリアでは、地域コミュニティにとってはすべて排除的(エクスクルーシブ)なものとなると結論付けています。彼以外にも、多くの社会科学者たちはオールインクルーシブのリゾートを批判してきました。なぜなら、オールインクルーシブ観光推進者たちは地元の人々にとってマイナスの影響をもたらすような、成長の限界を超えた活動を展開する傾向があり、また地元の起業家が観光客に商品やサービスを販売することで利益を得る機会をかなり制限しているからです(Scheyvens & Biddulph, 2018)。その結果、観光客の支出が高レベルで流れ出し、外国のホテルチェーンや旅行代理店に多くの恩恵が行き渡ります。
インクルーシブビジネス
第二に、観光は「インクルーシブビジネス」のレンズを通して見られることがあるのでその違いからインクルーシブ観光について理解していきます。
国際開発の関係者と社会的責任をステークホルダーに示したい企業の間で、インクルーシブビジネスという言葉が使われるようになりましたが、ここでは、営利事業がバリューチェーンに低所得コミュニティの人々を含めることで貧困削減にどのように貢献できるかに焦点を当てています(Scheyvens & Biddulph, 2018)。
しかし、こうした「成長」を原則とするインクルーシブビジネスと、インクルーシブ観光は異なる性質を持つとスケ―ブンスとビドルフは言います。Bakker and Messerli(2017)によると、インクルーシブビジネスのアプローチと多くの共通点がある包括的成長の考え方は、雇用機会と経済規模を拡大するための長期的なアジェンダに基づいていますが、これは貧困層への資源の再分配に資するものではありません。
特に、インクルーシブビジネスアプローチは、経済成長の新自由主義モデルを支持しています(Scheyvens & Biddulph, 2018)。これはすなわち、市場経済に貧困層を含めることが貧困から脱出するルートであると想定しています。このような開発は、経済的側面に限定されており、貧困層の開発の障壁である構造的不平等を克服するための努力などの政治的議題とは関係がありません。インクルーシブ観光は、このアプローチに欠陥があると考える多くの識者の見解を支持しています(Blowfield&Dolan, 2014; Kumi, Arhin,&Yeboah, 2014; Marques&Utting, 2010)。
インクルーシブ開発
第三に、「インクルーシブ開発」に関する包括的な視点が次のUNDPの定義からみることができます。
「多くの人々は、性別、民族性、年齢、性的指向、障害または貧困のために開発から排除されています。すべての人々のグループが機会の創出に貢献し、開発の利益を共有し、意思決定に参加する場合にのみ、インクルーシブな開発は可能であり、また貧困も減らすことができます(国連開発計画、 2016)」
ローソン(2010)はインクルーシブ開発の議論は、経済開発が場所、政治、社会に内在的に組み込まれていることを理解することがまず重要であると主張しています。
SDGsでは、経済成長がインクルーシブ開発に不可欠であるという考えが浸透していますが、インクルーシブ開発と同様に、総じてビジネス中心のアプローチよりも包摂的な視点が含まれています(Scheyvens & Biddulph, 2018)。なぜならSDGsには、人間の尊厳の向上や不平等の克服など、関連する社会開発目標が組み込まれている点が包括的成長アプローチとの大きな違いとしてあるからです。
したがって、インクルーシブ開発は包括的成長のアプローチよりも全体性を持った概念であり、一人当たりGDPで単純に測定されるものよりも広い意味での福祉に関心があることを意味します(Scheyvens & Biddulph, 2018)。
インクルーシブ観光の定義
スケ―ブンスとビドルフ(2018)は、インクルーシブ観光を以下のように定義しています。
周辺化された集団が観光の倫理的な生産または消費とその利益の共有に関与・参画するようになる変革的な観光(Transformative tourism in which marginalized groups are engaged in ethical production or consumption of tourism and the sharing of its benefits)(p. 592)。
この定義では、周辺化された人々がその倫理的な生産に関与している場合、または彼らがその倫理的な消費に関与している場合にのみ、インクルーシブ観光と見なされることを意味し、どちらの場合でも、周辺化された人々は利益を共有します(Scheyvens & Biddulph, 2018)。
誰が周辺化された存在とみなされるかは場所によって異なりますが、非常に貧しい少数民族、女性と少女、障害のある人々、あるいは権力や声が不足しているその他のグループが含まれる可能性があります。倫理的な生産と消費は、インクルーシブ観光の定義の重要な要素です(Scheyvens & Biddulph, 2018)。
これには、人間や環境に対する責任(responsibility)も含まれます。「変革的(transformative)」という意味では、これは不平等に対処し、そしてさまざまな場所に住むさまざまなグループの分断を克服し、固定観念や一般化された歴史に対して向き合い、マイノリティの状況を理解するよう人々のマインドをオープンにすることを意味します(Scheyvens & Biddulph, 2018)。
インクルーシブ観光の特徴
インクルーシブ観光は、いわゆる発展途上国のみに適用可能な概念ではなく、先進諸国にも適用可能です。これは、SDGsやインクルーシブ開発の取り組みが世界中で行われるように、インクルーシブ観光でも同様にあらゆる場所でのすべての人にとっての課題解決に役立つような概念を目指しているからです(Scheyvens & Biddulph, 2018)。
ソーシャル・インクルージョン(社会的包摂)の概念においての論点である、(1)誰が包摂される(そして排除される)か、そして(2)彼・彼女らはどのような観点・文脈において、どの程度包摂されるか?から、次の7つの要素・特徴がインクルーシブ観光にはあることが示されています(Scheyvens & Biddulph, 2018)。これらは、図1のように整理されます。
- 生産者として観光にアクセスするための不利な立場にあるグループへの障壁を克服する(Marginalized people as tourism producers)。
- 消費者として観光にアクセスするための不利な立場にあるグループへの障壁を克服する(Marginalized people as tourism consumers)。
- ある場所が新たに観光マップ上に載る機会を作り出す(Changing the tourism map to involve new people and places)。
- 観光業の発展に関する意思決定に参加し、影響を及ぼす人々の範囲を広げる(Widening of participation in tourism decision-making)。
- 「ホスト」と「ゲスト」間の相互理解と尊重を促進し、学習と交換、および相互に有益な関係を促す(Promotion of mutual understanding and respect)。
- 排除されたり抑圧されたりしている人々による自己表現を促進し、自分自身の物語を語り、自分自身の文化を彼らにとって意味のある方法で表現できるようにする(Self-representation in dignified and appropriate ways)。
- 支配的な権力関係の変革(Power relations transformed in and beyond tourism) 。
図1 インクルーシブ観光の7つの要素
出典:Scheyvens, R., & Biddulph, R. (2018). Inclusive tourism development. Tourism Geographies, 20(4), 589–609.
スケ―ブンスとビドルフ(2018)は、これらの7つの要素は、観光開発の事例を分析する際にその取り組みがどの程度インクルーシブな開発となっているかについて評価するための枠組みとして有益であるとしています。これは同時に、実践者にとっても観光を通じたインクルーシブな開発に向けて取り組むべき具体的な方法や方向性を示すことになると筆者は考えています。よって、次回以降でこれらの要素を組み込んだ観光のアプローチが実際にどのようなものがあるのかについて、具体的な事例とともに紹介していきます。
参考文献:
- Bakker, M., & Messerli, H. R. (2017). Inclusive growth versus pro-poor growth: Implications for tourism development. Tourism and Hospitality Research, 17(4), 384–391 doi:10.1177/1467358416638919
- Blowfield, M., & Dolan, C. S. (2014). Business as a development agent: Evidence of possibility and improbability. Third World Quarterly, 35(1), 22–42. doi:10.1080/01436597.2013.868982
- Chakravorti, B., Macmillan, G., & Siesfeld, T. (2014). Growth for good or good for growth? How sustain- able and inclusive activities are changing business and why companies aren’t changing enough. https://www.citigroup.com/citi/foundation/pdf/1221365_Citi_Foundation_Sustainable_Inclusive_Business_Study_Web.pdf(最終閲覧日:2021年1月30日)
- Kumi, E., Arhin, A. A., & Yeboah, T. (2014). Can post-2015 sustainable development goals survive neoliberalism? A critical examination of the sustainable development–neoliberalism nexus in developing countries. Environment, Development and Sustainability, 16(3), 539–554.
- Lawson, V. (2010). Reshaping economic geography? producing spaces of inclusive development. Economic Geography, 86(4), 351–360.
- Marques, J. C., & Utting, P. (2010). Corporate social responsibility and regulatory governance: Towards inclusive development? Basingstoke: Palgrave Macmillan.
- Scheyvens, R., & Biddulph, R. (2018). Inclusive tourism development. Tourism Geographies, 20(4), 589–609. https://doi.org/10.1080/14616688.2017.1381985
- United Nations Development Program. (2016). Inclusive Development. http://www.undp.org/content/undp/en/home/ourwork/povertyreduction/focus_areas/focus_inclusive_devel opment.html (最終閲覧日2021年1月30日)
- Saarinen, J. (2017). Enclavic tourism spaces: Territorialization and bordering in tourism destination development and planning. Tourism Geographies, 19(3): 425–437.
この記事を書いた人
オランアース設立者・オラン知見録編集長 藤本直樹
1995年京都府生まれ。立命館大学(京都市)地域観光学専攻2年生の頃から観光を活用したより良い社会づくりを実践・研究。2017年3月から京都府伊根町で地域住民組織との協働体制を作り「都市農村交流事業」を行うオランアースを設立・運営。現在は、立命館大学院政策科学研究科博士課程で「観光社会起業とコミュニティ・ディベロップメント」をテーマに国内外の学会発表や論文執筆を行う。バンドン工科大学(インドネシア)都市・地域計画専攻、グリフィス大学(オーストラリア)観光経営学専攻への2度の長期留学を経て、実践とアカデミックの往復を志す。
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